1970年5月12日山口県内で警察官を刺し、仲間と共に逃走した川藤展久(当時20歳)は、広島市郊外で仲間が逮捕された後も逃走を続けた。
逃走中に銃砲店からライフル銃と銃弾を強奪し、宇品港(広島港)に停泊中の、定期旅客船「ぷりんす号」に乗り込み、船長を脅迫し出航させた。
その後「ぷりんす号」は瀬戸内海で逃走を続け、海上保安庁の巡視艇に追跡された。結果、愛媛県の松山観光港に入港。乗客全員の解放と引き換えに、燃料の補給を受けた(船長他、乗員は解放されず)。
翌日に松山観光港を出発した「ぷりんす号」は同日朝、宇品港に戻ったが、犯人は肉親の説得にも応じずライフル銃を乱射したため、狙撃した。胸に銃弾を受けた犯人は、病院搬送後の死亡した。
日本で戦後初の犯人狙撃・射殺によって人質を救出した事件。
【動画】setonaikai ship hijack 瀬戸内海シージャック事件※注意、人が撃たれます。
0 件のコメント:
コメントを投稿