韓国国内で上がった収益を全て韓国国内で再投資するという良心的経営をしていた日本企業スミダ電気での労働争議事件。
1987年に結成された労働組合が、
・就業時間中の労働運動
・労働運動の時間中の時間給の要求。
・会社外の人間である労働組幹部への給与要求。
・2交代3交代制の拒否。
・トイレ、水のみ場でサボタージュ。
・会社・工場へ泊まりこみ。
・事務所への残飯廃棄。
等の労働争議と呼ぶには余りにも稚拙な行為を繰り返し、賃金を2倍にまでアップさせることに成功したが、それに満足せず、さらに運動はエスカレート、身の危険を感じた経営陣は日本へ帰国するも、労働組合側は日本へ代表を派遣、労働組合側の話を取材もせずに鵜呑みにした日本のマスコミと共にさらに追い込みをかけ、さらに経営陣が韓国側にほぼ要求どおりの金額を支払うことになった事件。
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2008年10月1日水曜日
1977年1月 青酸コーラ無差別殺人事件
一つ目
東京都港区で男子高校生(当時16歳)が、宿舎へ戻る途中に公衆電話に置かれていた、未開封のコカ・コーラを拾って持ち帰った。翌日に飲んだところ、男子高校生は異様な味を感じ、吐き出したが倒れてしまった。男子高校生は意識不明の重体となり、病院に運ばれたが、まもなく死亡した。死因は青酸中毒死だった。
二つ目
前述の男子高校生がコーラを拾った電話ボックスから北に行った歩道上で、作業員(当時46)が倒れているのが発見され病院に運ばれたが死亡した。死因は青酸中毒であった。また、男性が倒れていた場所の近くには、コーラのびんが発見され、中に残っていたコーラから青酸反応が検出された。
警察が周辺を捜索したところ、品川区にある商店街の赤電話に、青酸入りのコーラが置かれているのを発見した。
三つ目
東京の事件から約一ヶ月後、大阪府に住む会社員の男性(当時39歳)が出勤途中、酒屋の公衆電話に、中身の入ったコーラのびんが置かれているのを発見し、飲んだところ突然意識不明に陥り病院に運ばれた。男性が飲んだコーラのびんからは青酸反応が出た。男性は一命を取り留めたが、退院した翌日に自宅でガス自殺した。
死の直前、家族などに「こんな騒ぎになって恥ずかしい」と言っていたらしいが、遺書などは見つかっておらず自殺の原因ははっきりとは判明していない。
東京都港区で男子高校生(当時16歳)が、宿舎へ戻る途中に公衆電話に置かれていた、未開封のコカ・コーラを拾って持ち帰った。翌日に飲んだところ、男子高校生は異様な味を感じ、吐き出したが倒れてしまった。男子高校生は意識不明の重体となり、病院に運ばれたが、まもなく死亡した。死因は青酸中毒死だった。
二つ目
前述の男子高校生がコーラを拾った電話ボックスから北に行った歩道上で、作業員(当時46)が倒れているのが発見され病院に運ばれたが死亡した。死因は青酸中毒であった。また、男性が倒れていた場所の近くには、コーラのびんが発見され、中に残っていたコーラから青酸反応が検出された。
警察が周辺を捜索したところ、品川区にある商店街の赤電話に、青酸入りのコーラが置かれているのを発見した。
三つ目
東京の事件から約一ヶ月後、大阪府に住む会社員の男性(当時39歳)が出勤途中、酒屋の公衆電話に、中身の入ったコーラのびんが置かれているのを発見し、飲んだところ突然意識不明に陥り病院に運ばれた。男性が飲んだコーラのびんからは青酸反応が出た。男性は一命を取り留めたが、退院した翌日に自宅でガス自殺した。
死の直前、家族などに「こんな騒ぎになって恥ずかしい」と言っていたらしいが、遺書などは見つかっておらず自殺の原因ははっきりとは判明していない。
1996年2月 中国、ロケット打ち上げ事故
1996年2月14日に中国で行われたロケット「長征3B型1号機」打ち上げにおいて、打ち上げ直後に機体がバランスを失い、そのまま市街地に落下した。公式発表によると500人の犠牲者を出した大惨事で、宇宙開発史上最悪の事故といわれる。
【動画】中国のロケット開発
【動画】中国のロケット開発
2006年11月 尼崎児童暴行事件
尼崎児童暴行事件
2006年11月中旬加害男児Aが、被害女児を誘い、他の男児もいるところに女児が遊びに行った。しばらくゲームなどをして遊んでいたが、Aが被害女児を別室に呼び出し強い口調でズボンと下着を脱ぐように命じた。被害女児は、怖くなり言われた通りに脱いだところ、露出させた下半身を触る、舐める、指を挿入するなどの性的暴行が起きた。後に加害男児は「アダルトビデオと同じことがしてみたかった」と語っている。
2006年11月下旬加害男児Aは、被害女児に対し、石を投げる・足を蹴飛ばすなどの虐めを始める。週刊実話の報道によれば、それだけに留まらず、Aの友人である女児も含む複数の児童からの暴行を受けている。その暴行の中には、スカートや下着を脱がされ、下半身をあらわにするなどもあった。被害女児は、石をぶつけられたことを担任に報告し、更にAにされた事を友人女児Bに相談。
2006年12月 8日Bから話しを聞いた、Bの保護者が担任教師に知らせる。学校側は、初めて最初の暴行を知ることとなる。なお、この日は金曜日であった。
2006年12月11日学校より被害女児の母に「すぐに来てほしい」との連絡があり、被害にあったことを初めて親が知る。
2006年12月12日被害女児の母が、学校に問い合わせるも、まだ尼崎市教育委員会に報告をしていないことが判明した。
2006年12月中旬~下旬A側が引越し資金を負担することで、一度は合意がなされたが、Aの父親は不誠実な対応しかせずに、連絡も途絶えて話し合いは膠着したまま。学校側も、加害男児Aに対して指導をしたと言ってはいるが、実際には被害女児にカウンセラーが付くこともなく、事件発覚後も4年生の間中同じクラスで二人は過ごさざるを得なかった。
2006年11月中旬加害男児Aが、被害女児を誘い、他の男児もいるところに女児が遊びに行った。しばらくゲームなどをして遊んでいたが、Aが被害女児を別室に呼び出し強い口調でズボンと下着を脱ぐように命じた。被害女児は、怖くなり言われた通りに脱いだところ、露出させた下半身を触る、舐める、指を挿入するなどの性的暴行が起きた。後に加害男児は「アダルトビデオと同じことがしてみたかった」と語っている。
2006年11月下旬加害男児Aは、被害女児に対し、石を投げる・足を蹴飛ばすなどの虐めを始める。週刊実話の報道によれば、それだけに留まらず、Aの友人である女児も含む複数の児童からの暴行を受けている。その暴行の中には、スカートや下着を脱がされ、下半身をあらわにするなどもあった。被害女児は、石をぶつけられたことを担任に報告し、更にAにされた事を友人女児Bに相談。
2006年12月 8日Bから話しを聞いた、Bの保護者が担任教師に知らせる。学校側は、初めて最初の暴行を知ることとなる。なお、この日は金曜日であった。
2006年12月11日学校より被害女児の母に「すぐに来てほしい」との連絡があり、被害にあったことを初めて親が知る。
2006年12月12日被害女児の母が、学校に問い合わせるも、まだ尼崎市教育委員会に報告をしていないことが判明した。
2006年12月中旬~下旬A側が引越し資金を負担することで、一度は合意がなされたが、Aの父親は不誠実な対応しかせずに、連絡も途絶えて話し合いは膠着したまま。学校側も、加害男児Aに対して指導をしたと言ってはいるが、実際には被害女児にカウンセラーが付くこともなく、事件発覚後も4年生の間中同じクラスで二人は過ごさざるを得なかった。
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